書き記し~青と共に

不思議体験?妄想?そしてスピなる書き記し?ごらんあれ

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青葉の神さま

3月の中旬に、福岡の霊能師、私の先生の所へ行きました。

久々に、神様の声を聴きたかったのです。

和紙に筆でスラスラと
「神筆}・・自動書記です。

目の前で神様の声が文字になっていきます。

私も書きますが、自分のことは聞きません。
なので
先生に書いてもらいます。

先生に初めて会った時と今回
筆を降ろして、お言葉をくださったのは
「青葉」という神様です。

何回か先生には
「神筆」を書いて頂き、何人かの神々様のお名前が記されてますが、
この「青葉」という神様は二回目で、前回の言葉が衝撃的で、
どういう神様なのか
聞きそびれて・・・
今回、やっと聞けました。

「青葉の神様って、どんな神様ですか?」
先生は笑って答えられました。

「青葉」という神様は、特定の神様ではなくて自然の集合体みたいな・・・
田んぼにおられる「案山子」の神様と同じような感じかな~

「案山子」?

「そう久延毘古(くえびこ)」と呼ばれる神様です。

古事記には次のようにあります。

久延毘古者、於今者山田之曾富騰者也、此神者、足雖不行、盡知天下之事神也。

クエビコというのは、今でいう山や田の案山子のことであり、この神は歩くことはできないが、天下のことを知り尽くしている神である。となります。膨大な知識を誇った神、ということが古事記からでも一目瞭然です

さらにウィキペディアによると

大国主の国づくりの説話において登場する。『古事記』によると、大国主の元に海の向こうから小さな神がやって来たが、名を尋ねても答えず、誰もこの神の名を知らなかった。するとヒキガエルの多邇具久が「久延毘古なら、きっと知っているだろう」と言うので、久延毘古を呼び尋ねると「その神は神産巣日神の子の少彦名神である」と答えた。さらに古事記では「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」と説明されている。「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代とされ、これが山の神の信仰と結びつき、収獲祭や小正月に「かかし上げ」の祭をする地方もある。また、かかしは田の中に立って一日中世の中を見ていることから、天下のことは何でも知っているとされるようになった。
神名の「クエビコ」は「崩え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連も考えられる。

そして、
もう一つのお名前
『天津甕星(あまつみかぼし)』、別名を天香香背男(あめのかがせお)
星の神様です。

封印されて別名(久延毘古(くえびこ)」になったとも言われています。

香香背男→かがせお→かがせ→かかし(案山子)

なんですって~初めて知りましたね~
神々様の世界も、複雑で名前が幾つもあったりと
私なんかは、何一つ分かりませんが、
この神様も複雑すぎて・・・
でも、それだけに、ただもんじゃないと思っております。

案山子は田んぼから稲を守りますね~
米は日本人には大事な食物で、基本です。
多分、姿かたちは一本足ながらでも
いろんな世界を全身全霊で守ってくださっていると思っております。
感謝です


しかしながら「青葉」というお名前で筆を降ろされるのも
また何かの意味があるのでしょうね。

偶然ですが、
ブログのタイトルも「青と共に~」と入っています。
これは、青葉の神様のことを知る前に付けたもので

私の一番好きな風景が
「木々の青葉の間から差し込む光」なんですね~

偶然にしても嬉しいです。

いつか声を聴けるときがくるといいな~なんて妄想をしております(笑)



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映画「沈黙」からの独り言

久々に自分の時間を取り戻しつつあります
と言っても、やるべきことは沢山あり
まぁボチボチ目の前の行事をこなしていきます。

遠藤周作氏原作の「沈黙」という映画をみて
しつこく(笑)
何回も言っていますが
「神さま」とは?
という疑問は、さらに深く深くなり

そんなおり、福岡の最強霊能師の爺ちゃんから言われた言葉を思い出した
「18~20歳前後に宗教に興味を抱いたときがあるはず、それは前世の人が降りてきて、その時からこの世界(スピリチュアル)に導かれているやな~」

ん~たしか、高校生の時から「三浦綾子」の愛読者で、
そこから突然、キリスト教に興味を示しはじめ、それだけではなく仏教や新興宗教他いろんな宗教に興味を抱いて、
いろんな団体のところへ話を聞きにいっていたなぁ。

今思い出したのは、長崎駅前の西坂にある「26聖人記念館」
確か19歳のころ、今から37年前(ゲッ大昔やん(笑))
その場所には、殉教された26聖人を模したブロンズ像がありまして。

その時に、そこの教会の神父様とお話をさせていただいたのです。

「キリストさまは、隠れキリシタンの人とか26聖人の人たちを何故助けてくれなかったのか?」
「人は何故生まれるのか、苦しみがあるのか」
とか「沈黙」を読んだ後のもやもやとした心の穴
それをストレートに様々な自分の疑問をぶつけました。

今思うと、神父さまは当然の訪問者の私に、大変困られていたようでしたΣ(´Д`*)。

答えは
「あなたの疑問はよくわかります。でもここで簡単に答えが出せることではありません。
よかったら、聖書を一緒に学びませんか?そこに何か分かるかもしれません」

若い私は、とてもガッカリした記憶があります。
神父様さえ、この愚かな私に答えを濁した
っと

今思うと、神父様の答えは常識的範囲で、
今の私でも、同じ答えを出したでしょう。
そんなもん、答えられるわけじゃない。
とりあえず勉強してみましょう。
うん、そうだよね
若気の至り・・でしたねΣ( ̄。 ̄ノ)ノ。

でも当時は、私の進む道はキリスト教ではないと決めつけ、その答えを求めて
広く浅く、いろんな宗教の本を読んだり、話を聞きにいったりしてました。
皆さん、やはり同じようなことを言いました。
神さま仏さまより、教祖さまを重んじたり、
お金を取ろうとしたり
前世や先祖の行いが・・・とか脅かされたり
大勢の人に囲まれて入会を迫られたり
確かに
この頃の自分は全てが上手くいかず
人生の中の暗黒時代でしたので
何かに、すがりたかったのか・・・
感化されて・・・っと入りそうに、なりかけたりもしましたが、

話を聞けば聞くほど、
「違う、違う」
これは求めている教えではない!っと

今、思うと神々様やご先祖様が
変な宗教に入らないようしてくれていたような気がします(笑)

そこで自分で結論を出したのは
「何の宗教にも属さず家の仏教((先祖代々から信仰してる禅宗)を信じ悪いことをしないでいれば、その内どうにかなるだろう」という事で何かの団体に入ることもなく、答えを見つけることは止めました。

でも「沈黙」という映画をみて
私は、19歳の時のそのころに戻ってしまいました。

37年間の時を超えて、いろんな人生を経験して
あの頃には理解できなかったことが

ここにきて遠藤周作氏の疑問がもどかしさが
あの頃の自分と同じだと分かって
本当に大昔に
胸の奥にしまい込んでいた忘れ物を
思い出すきっかけとなり
変な話、嬉しくなりました。

氏は、いろんなところで語っておられます。

これで、やっと少しは理解できるようになれるのでしょうか

私の進むべき道は
「神道」
キリスト教はキリストの教えですが、
これも神々へ続く修行の道の一つと考えます。

再び「沈黙」も読み直し、
他の本も読み直しをしていきます。

遠藤氏が何を語りたかったのか
まだまだ時間はかかりますが
答えがでないままでも
何かを得るような気がしております(笑)

お久しぶりです。

前回より2ケ月ほどブログを書けませんでした。

いや、書かなかった(´・Д・)」
まぁ自分の怠慢と目の前のことを、こなしていくのに一生懸命っというか・・・
でも・・・スマホのゲームをやる時間はあるわけで・・(汗)(。>ω<。)ノ

賃金が発生する仕事は真面目にしながら
家事を・・適当におろそかにし、
ああ・・・こういう人間にはなりたくないと思い日々に追われておりました(笑)

そうこうするうちに誕生日がきまして
56歳となりました((((;゚Д゚)))))))

56歳。
げっ、Σ(゚д゚|||)
書きながら・・どっから見ても立派なおばさんですね~

怠慢な自分を更年期のせいにしてしまっております。

こんな私にカツを入れてほしくて・・・
福岡の私の先生に
今の私と、今後の私について
話を聞きにいってきました。

神様は、見てるね~
こんな自堕落な弟子に先生は優しい

人生には、そういう時間も必要です。

先生は優しいなあ

強く嫌味にでも言っていただくと
自堕落な自分の中の何かが変わりそうなのですが・・・

優しく言われるほど、心が痛い

神様は見ておられます
それを痛感したひとときでございました


そんなわけで目👀も覚め
福岡から帰ってきてからは真面目に生活して

神様とも向き合っております。

しかし前の遠藤周作氏の「沈黙」の映画をみてから
今までも「神々様」という得体のしれない存在?言葉にするのも難しいのですが
「神とはなんぞや?」が頭から離れず

ただでさえ何もわかっていないのが、
ますます分からなくなって
しかも分からないことが分からなくて
しばし考えることも放棄しており、
仕事や行事が無事解決していく中に
自分も取り戻して言ってるような感じです。

こんなんで、久々のブログ
福岡での神社参拝や写真。
沢山あるので、
ボチボチ載せていきます。

訪問してくださりありがとうございます。
貴方様のお幸せを祈らせて頂きます。

書き記し№43

昨日、遠藤周作氏著の「沈黙」からの映画について

映画を見てキリスト教を「棄教」することを「転ぶ」という言葉と
映画の主人公が実在する人をモデルにしているという事を
始めて知りました。
35年前に、この本を呼んだ時の自分の記憶が無に等しいことが良く分かります

窪塚洋介氏演じる裏切者役「キチジロー」
遠藤周作氏は、この「キチジロー」は自分だとも言っております。
私も、いろんな意味で自分自身も「キチジロー」を非難できず、それどころか「キリジロー」の一部分を自分も持っていることに気づきます。
この時代は長く続き、やがては「島原の乱」という今世最大の一揆も起こってしまい、
不幸な連鎖が続いていきます。

そして映画の最後の1シーン。
原作にはないシーンなのですが、
このシーンが一番頭から離れませんでした。
是非とも映画館で見てくださいませ

宗教とは・・・
神様とは・・・
人間とは・・・

簡単に理解できるものではありませんので
答えも出ず
しばらく悶々としておりました。

すると突然、
言葉が降りてきました。
今日は、その時の言葉
「書き記し」を載せたいと思います。

「書き記し」№43

心の声を聴くのだ
善と悪
人の内には、その二つが対局し
常に己の動きを左右する

宗教と言うもの
すなわち心の声に耳を傾けること
正しいとか正しくないとか
自問自答を・・苦しさの果てに・・・
たとえ、そこが狂気の世界であろと
心から内出る内在神(心)の神はおられる

その声、聞こうとするものには必ず内なる声が聞こえるはずじゃ

人はなんの為に生き、死すのか
それは神とて簡単に答えだせるものではない
己の行動の果てに
聞こえるもの・・・それが神の声じゃ
流す涙の真実が猜疑心とか嘘とか軋轢(あつれき)とか
いろんな思いが錯綜するであろうが
神とて情けはあるもの
必ず光ある答えはそこにある

内なる声を聴け
そこに答えを見つけずとも
常に神は、そなたと共におる

そのことを忘れなければ神はいつもそこに存在する


2017.1.30 〇〇〇命

遠藤周作著「沈黙」№2

ブログ更新が段々と長くなり、申し訳ありません。
まぁボチボチ書かせていただいております(笑)

先日、やっと遠藤周作氏著「沈黙」の映画を観に行きました。

今から35年前に読んだ本の内容が映像になり・・・
それを思い出しながら・・・重ねて
昔の隠れ(潜伏)キリシタンの人々の歴史を見ることができました。

私の出身は五島列島で
隠れ(潜伏)キリシタンの末裔の人は沢山います
幼馴染もそうでした

五島列島を離れて、出身を聞かれ「五島」と言うと
キリシタン?っと言われます。
映画の中にも「五島」という地名が出てきます。

私の親の代までは
キリシタンというだけで結婚を反対されたり
それなりの差別が残っていたと聞いています。
地域や名前から隠れ(潜伏)キリシタンの末裔の方だと分かる場合もあります。

そして悲しいことに、あからさまに、そういう差別をする大人も見たことがあります。

キリシタンの何が悪いのか
未だに理解できませんし、そういう大人が沢山いたことも記憶にあります

私の実家の隣には教会がありましたし、家は仏教、嫁いだ先は神道
私自身は、いまだに宗教のこだわりはありません。
神々様の名前や言い方に区別はないと思います

五島列島の各地
特に町から離れた ひっそりとした地域には信仰深いキリシタンの方々がおり
教会を守っておられます。

観光地の片隅にも隠れキリシタンの人々を拷問したり
処刑された場所が今なお残っております。

来年度、長崎と天草地方の潜伏関連遺産として「世界遺産」への登録を要請しようという運動があっております。
歴史を学んだりすることや、それを遺産として残すことは必要なことだと思います
しかし、もはや
「世界遺産」とは観光誘致のための誘い文句であり
個人的には、正直「そっと見守って」と思います

今でも信者の方々は静かに信仰を守られておられます。

「世界遺産」ということで観光客が増えると
どうなるのか
地域活性化されるのと同時に負の部分も出てきます。
教会は見世物ではありません。
本来の「信仰」が揺らぐことは無くても
地域の人々の暮らしは変わっていきます。

かつてキリシタンの方々が仏像やお寺や神社を焼き払った歴史もあります。
遠い昔のこととはいえ
世界遺産では、そういうことも語られるのでしょうか?それを含めての遺産です

何かが違うような気がします。
過去は過去として
すんだことではあるけど

地域活性の名のもとに
神聖な信仰を利用しないで頂きたいですね

話はもとに戻り、
「沈黙」
本を読んだ後も
映画を見た後も
その間、長い時間がたち
私自身も少女からおばさんになり(笑)
それでも
やはりこの本は
深い・・・深すぎる

二三日は、ずっと
「神」とは
「人はなぜ信仰するのか」
「何故、沈黙するのか」
とかいろいろと考えていました。
言葉では今の感想とか説明もうまくは表現できないのですが・・・

長崎市外海町にある「遠藤周作記念館」に建てられている「沈黙の碑」

「人間がこんなに哀しいのに
 主よ
 海が あまりに 碧いのです」

と書いています

「沈黙」という本
それぞれ読む方の思いがあると思いますが
私は、この遠藤周作氏の この「碑」に刻まれた言葉がすべてを物語っているような気がしました。

深い言葉です。
人間が、全ての宗教の神々様に問いかけてる気がします。

この碑の前に広がる海を見ると
なぜか胸がギューッとつまされるような
涙がでてくるのは何故でしょう

映画を見て
しばらくして悶々といろいろ考えてた時に
突然、文字が・・・言葉が・・・
いそいでペンをとり「書き記し」を書きました。
メッセージが届きました。

それは次回に掲載させて頂きます

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Author:ひみのみこ
勝手気ままに現実に起こった不思議なことを織り交ぜて書いております。
「書き記し」という見えない世界からのメッセージ。
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